「デザインの輪郭」続き

読み終わってでもまだ自分に落ちきっていない気がするので2周目に入ってるところで気が付いたことをつらつらと。まず早速前のエントリーで書いてることが思いっきり理解が足りてないがゆえに間違ったことを書いていたことを発見。

前回書いていたのは"Without Thought"のワークショップのくだりを読んで書いていたのだけれどその中で「行為の観察から発見をしてその解決策をデザインする」ってのはすごくWEB的な思考で書いてあることをWEBデザインだったらこうかなと自分で変換していたと気づいた。どうも無理に仕事に落とし込む方法論にばっかり頭が行っていた気がする。

今日同じ箇所を改めて読んで思ったこと
ちょっとだけ一部引用

誰もが共有する日常の行為を使って、私たちはデザインで詩を書こうとしている。当たり前だからこそ深く、どうでもいいくらい無自覚に、からだが知っている共感の美を探そうとしているのだ
深澤直人 ”デザインの輪郭”

前の記事に書いた”行為の観察から発見をしてその解決策をデザインする”てのは「対象となるもの」から発生するタスクを行う過程だけをデザインしている、あるいは行為の中の課題を解決してるに過ぎなくて行為をシンプルにすることだけに徹していて、それだとデザインや”もの”が記憶に残らない。
そうではなくて、例えばペンを使って文字を書く、例えば家に帰ってきてライトをつける、そんな行為の中にある人の記憶、共有されている体験、そこから立ち現れる行為そのものを形にする、それが人にかすかな幸福を与える、それがデザインなんだろうな、って思うようになった。

WEBのデザインをしていると(って結局ここに戻りますよ)「この形のボタンが押される」「このレイアウトが読まれやすい」「この組み合わせがクリックを誘発する」なんてテクニックこそデザインでありデザイナーの領域だ、って思われてるけどそれはデザインというより今までのパターンの効率的な順列組み合わせであり、デザイナーがするべきことはWEBのページを通じた体験のデザインであり、ページを空間として捉えてコンテンツの中身や配置やそこでの出会いやインタラクションや物語やゴールの提供までを形作って行くことなんだろうな。なんて思ってみました。

あとはこれをいかに同僚に伝えるか。共有するかそればっかり考えてます。